田舎暮らしは、交換経済?

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野菜を購入する女性

東京の資本主義とは一線を画す?

田舎は社会主義?

東京よりもはるかに仕事を見つけにくい田舎では、自分で仕事を作る必要性が出てくる場合がある。

という悲観的な見方より楽観的な見方を好むというのであれば、仕事を作ることで生活をより豊かにすることができる。

一見東京は資本主義、田舎は社会主義だと思われがちだが、果たして本当にそうなのだろうか。

田舎も資本主義?

私は、東京は資本主義、そして田舎も資本主義だと思っている。資本主義の日本に住んでいるのだから当たり前だろうと言われるかもしれないが、私が思っているのはちょっと違う。

田舎の資本主義は東京の資本主義とは一線を画すと思っているのだ。ではどういうところが一線を画すのか。

物々交換というよりも、価値の交換?

東京での私の価値。

会社勤めをしているとき、私が提供できるものと言えば労働力だった。それは会社の研修などで学んだことを仕事に活かし、その労働時間を会社に給料として買い取ってもらうことである。

会社勤めをしているとよく勘違いしてしまいがちなのが、自分がいないと仕事が回らなくなるのではないかと思い込みたくなることだ。実際に私もそう思っていた。私が会社をやめれば、それまで順調に回っていた業務が滞り、会社に大きな損害を与えてしまう。だからやめるわけにはいかない。

けれども大きな企業であればあるほど、一人やめたところで経営難に陥ることはあり得ないし、せいぜい自分に関わった人たちが多少面倒な思いをするだけなのだ。

だからどれだけ自分が会社のために尽くしても、他の人よりちょっとその成果が大きいとか小さいとかいうレベルの話で、この仕事は自分以外の誰かにもできること、という思いがいつも私の中のどこかにあった。

それが虚しさにつながっていたのだということは、今になって気づけたことである。

田舎での私の価値。

一方田舎では、自分で仕事を作る=自分にしかわからない需要を想像して、創造し、商品にすることによって、自分にしかできない、唯一無二の価値を作ることができる。

それが供給とマッチすれば、多大な利益を得ることができる。そんなに単純な話でもないだろうと突っ込まれそうだが、簡単に説明するとこういうことになる。

田舎暮らしは物々交換?

田舎暮らし=物々交換というイメージを持っている人が多いのではないかと思う。

「おおかみこどもの雨と雪」という映画でも、都会で暮らせなくなったおおかみこどもの母親が田舎にこどもを連れて移住し、自給自足を目指して畑を耕すが、地元の人間にそれ以上の農作物を作れとアドバイスを受ける。

できた農作物を近所におすそ分けすることにより、米や卵などを代わりに貰い、充実した食生活を送ることができるようになった。そういう方法ももちろんある。けれども、交換できるのは物に限ったことではない。

その他の田舎暮らしの経済についてはこちら → 田舎暮らしで収入はどうする?

自分がどんな価値を提供できる人間か、考える

田舎で私が提供できる価値。

例えば自分であれば、PCの技術や情報を誰かに教えることができるし、手先が器用なのでDIYも得意分野だ。

新しくパソコンを買ったけれど、どうしたらいいかわからない、という近所の高齢世代のためにパソコンをつなげてネットワークに接続した、そのお礼にと大量のたまねぎとジャガイモを貰うことができた。

これが高じればこの土地でインターネットの接続、設定代行業を興すこともできる。

また別の一人暮らしのおばあちゃんの家が雨漏りするというので、応急処置をしたついでにボロボロだった砂壁をすべて剥がして新しい壁紙に変えてあげたら、とても喜んでもらえた上に、大量の米を貰うことができた。

これが高じれば内装業としてここでやっていくこともできるかもしれない。

どちらも資本主義だけれど。

私以外の移住者で言えば、こんな田舎でもヨガ講師として生計を立てている人もいれば、出張整体師として忙しく近隣を巡っている人もいる。

どこかの会社に就職して与えられた仕事をただこなすというのが東京の資本主義なのだとしたら、自分がどんな価値を提供できる人間かを考え、それを商品化するという田舎の資本主義は、やはり一線を画していると私には思えるのだ。

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